花菊

上尾の歴史3

上尾の歴史について(概観)
原始・古代
上尾の歴史は市内にある400カ所以上の遺跡から約2万年前の旧石器時代(先土器時代)までさかのぼれます。畔吉の殿山遺跡からは、関東地方では珍しい「国府型(こうがた)」のナイフ形石器などが出土しています。
約1万2千年前に始まる縄文時代の遺跡からは土器や石器が発掘されています。また、貝塚などから当時の上尾周辺には海があったことも分かっています。古墳時代の遺跡からは鉄剣や鏡なども出土しています。
中世
平安時代末期になると武蔵国にも武士集団が結成され、鎌倉時代は上尾周辺も含め源頼朝に仕えた足立氏の勢力下にあり、鎌倉幕府滅亡後は足利尊氏の所領となります。このころから今も上尾市に残っている「菅谷村」などの地名が文献に登場してきます。また、当時のものとして板碑が現存しており、現在約500基が確認されています。
近世
江戸時代に入ると、五街道が整備され、その内上尾は中山道にある69の宿場町の5番目の宿として、平方は荒川舟運の要衝としてまた、原市は市場町としての発展をします。
近代・現代
明治16年、高崎線開通と同時に上尾駅が設置され中山道とともに市街地形成の基礎になりました。明治末期には近代工業の先駆けとして上尾町や平方町に製糸工場が建てられ、昭和になってからは機械・金物・食品工場も操業して工業都市としての下地が作られました。江戸時代に上尾市域に45あった宿・村は、明治初期に40となりました。その後6区域の町村になり、昭和30年3回目の合併で新上尾町となり、昭和33年県内19番目の市となりました。市制施行当時約3万7千人だった人口も加速度的に増加し、昭和45年には10万人を突破、平成20年には市制施行50周年を迎え、平成21年3月現在では22万5千人を数えるまでになりました。
(上尾市オフィシャルサイトより)
確かに古代の遺跡や上尾宿などの痕跡はあるものの中世の時代の名残が少ないといえるでしょう。地理的に否めないことでもありますが…。ただ、今まで何箇所か上尾市内を散策をしてきましたが、江戸時代でも名残を留めているところは非常に少ないのはある意味上尾市の特徴かもしれません。町の開発、発展は何をおいても重要ですから多少の犠牲(歴史的遺物など)なら仕方ないことでしょう。以上が上尾市の概要と雑感です。「新訂 旅と歴史」参考文献


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