花菊

蕎麦屋の親父はそばが好き

そば屋のオヤジが蕎麦が好き、なーんてのはあまりにベタな話で申し訳ないのですが、私はほぼ毎日お昼にはもり蕎麦を食べます。最初、つゆをひとなめ、一口目はつゆに何も入れずに、二口目は薬味をチョット入れて、三口目はワサビを入れて、四口目は…てな具合に楽しみます。そして終いの方になると生卵を入れて食べたりするのですが、実はこれが中々イケルのです。この時生卵の量が問題で、一度に一個丸まる猪口に入れてしまいますと溢れんばかりになって多すぎますし味も薄まります。残りのそばの量にもよりますが3分の1から半分も入れれば十分です。ところで、これ「玉付」は―ぎょくつき―と読みます。「もりそばに生卵を付けてくれ」とご注文を受けますと「もり一枚ぎょくつきで」と仕事場へトウシます。ちなみに「温かいかけそばに生卵を入れてくれ」となりますと「ぎょく落ち」となります。この玉付、最近ご注文される方が昔よりメッキリ少なくなったような気がするのです。昔とはいつ頃だったか?私の子供の頃、卵が今より貴重だった頃…。幾つか理由が考えられるのでしょうが、我が身を省みれば確かに、いかにもコダワッテマスというそば屋さんに入って、はたして玉付で注文できるかといえば、ちょっと勇気のいる所業であるとは思うのです。権威にカラッキシ弱い私は、どこどこの総本家だの御三家だのと聞けばなおさらで、周りのソクラテスやプラトンのような顔をして蕎麦を手繰っていお客さん達の目も気になります。たとえば並木に行って「これが江戸そばのつゆデェーイ」というようなコダワリの三乗みたいなカラリンコのそばつゆに「生卵くらさーぃ」とは小さな声でも中々言いずらいのです。そもそも「コダワリノ…」だとか「キューキョクノ…」だとか言うことを、お客様の前にこれでもかとさらけ出す事を、とても恥ずかしい事のように思ってきました。お蕎麦を美味しく食べるのにビックリ箱は必要ないじゃありませんか。最近は「コダワリノ…」や「キューキョクノ…」とか言う話になると、「当たり前の仕事にコダワリタイ」とお答えするようにしています。当たり前の仕事をきちんと積み上げていくフツーのそば屋の方が良い。「当たり前の仕事」に密かにコダワリタイのです。余分なものは何も無い、だけどそば屋に必要なものは全部ある、そんなそば屋がよろしいな


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