(上尾歴史散歩)古文書に見る宿場と村の生活 ~上尾市域の特産物~  

江戸時代も後半期になると各地に特産物が生まれるが、農村地帯である上尾市域の特産物は、農産物とそれらの加工品である。江戸時代後期の埼玉県域は、西側は養蚕地帯で東側は木綿地帯であり、「絹」と「木綿」が二大特産物である。上尾市域は木綿地帯にあり、畑地に綿が作られ、農民の手により「綿織物」が生産されている。享保六(一七二一)年の上瓦葺村の記録に、「木綿」の栽培が見えるのはその例である(『新編埼玉県史通史編4』・『上尾市史第三巻』)。江戸後期の上尾市域の特産物に、名の知られたものに「紅花」がある。紅花は商人がもたらした作物で、江戸の柳屋五郎三郎の手代が、上村(上尾市大字上)の七五郎に種を渡して栽培させたといわれる。紅花は栽培期が麦作と競合するが、高収入になったため栽培が拡大している。紅花は開花した花を摘んで半加工の「紅餅(べにもち)」にするが、これが京都などの問屋に送られることになる。当時生産地の各村々では、農間渡世の紅花商人が数多く活躍している(『武州の紅花』)。紅花のように多くの村々で生産された特産物もあるが、南村の「笊(ざる)」のように一村かぎりの特産物もある。正徳六(一七一六)年の南村明細帳では、「男ハさる(笊)を作りかせ(稼)き仕候」と記されている。これだけの記述では分かりにくいが、この時代に竹製品が生産されていたことが注目される。この地区は現在でも通称「かご屋」と称される家が所在し、江戸時代の特産物が現在まで続いているという。県内でも珍しい特産物事例となっている(『上尾市史第三巻』)。上尾市域には江戸初期に「酒造株」を所有し、酒造を営む者もいるが、幕末期には酒造を営む者が上尾宿・原市村などで増大している。その点からみると、「清酒」も上尾市域の特産物ということになる。ところで同じ醸造業でも「醤油(しょうゆ)」は、関西に比して関東は遅い発達である。幕末期に久保村須田家では醤油を醸造しているが、発達の遅かった関東では珍しい事例である。同家は近在農村の需要を背景にしており、これは当時の農村の生活水準の向上をうかがわせることになる。また醤油の需要が増大したのは、当時の食生活が変化してきたことを示している。いずれにしても醤油も清酒と並んで、上尾市域の特産物ということになろう。上尾市域の特産物が増大してきたことは、地域の人々の生活が上昇してきたことを示している(前掲書)。[上尾市Webサイト]参照

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